TOMOIKU*ブログ
3.192019
片付ける禅(ZEN)の心得「捨てる基準」モノに命を与えているか?
なぜ日本の家では玄関で靴を脱ぐのでしょう。
もちろん外の泥や砂・ほこり・菌などの汚れのもとになるものを、家の中に持ち込まないためですが、日本の玄関で靴を脱ぐ習慣には、深い意味があります。
長年の習慣に倣えば、なぜ部屋の片づけをしなければならないのか…
「空の空間」が良いのかが理解できます。
※「空の空間」についてはコチラのページを参考にしてください。
なかなか片付けができない方…
片付けを始めたけれど、途中で挫折した方…
「禅(ZEN)の心得」から、自分の心を整えて「片付け」をする意味について考えてみましょう。
Contents
禅(ZEN)の片付けの心得
靴を表す感じに「沓-くつ」という字が当てられていて、その意味は「けがれ」と言います。
そのことから、日本では家の入り口である玄関で靴(沓)を脱ぐのは、外でついてきた「けがれ」をそこで食い止め、自分の安らぐ家の中には入れないという意味があるのです。
家の一歩外に出れば、不特定多数の人と接し、不愉快な思いをしたり怒りの気持ちさえ持つことがあります。
家の外では「臨戦態勢」とまで言わないとしても、少なからず「よそゆき」の顔をしているものです。
家では外での鎧を脱ぎ捨て、心の拠り所を求めているプライベートな自分に戻れる空間にしたいと願います。
心を整え安らぐ家は、神仏にふさわしい空間と同じように、空気を清めるためにも片付けを含む掃除が必要です。
大切な自分・家族が暮らす「家」は常に清らかにしておかなければ、心が休まりません。
学生の時、試験に追われているのに何故か掃除がしたくなる…という気持ちになったことはありませんか?
その心理も、心のどこかで心を整えなければ気持ちが不安定になり、効率的な勉強ができないことを感じているからです。
しかし、毎日大掃除のような片付けは、忙しい日々の中なかなかできることではありません。
モノが溢れていれば、作業も多くなります。
心地よく生きていくために、自分の空間は清めておく…。
それが、禅(ZEN)の片付けの心得なのです。
モノに命を与え愛情を注いでいるか?見立ての作業
すでに捨てるものとして検討しているものもあれば、捨てるのは心淋しいと感じる物もあると思います。
まず、物を捨てる前に、別の役目を与えてあげることができないか?…という、「見立ての作業」をします。
捨てる物に対して、再び「命を与えてあげる」ことができるかどうかを考えます。
捨てる前に何か「利用できないか」と考え、いろいろと工夫を加えて見立てます。
竹を例にした禅の見立て
- 竹でデザインされていた庭の竹が茂ってしまい、一部伐採。
- 伐採された竹は、器にデザインされる。
- 器をして使用済み竹は、「竹炭」になり空気を浄化させ、消臭剤にもなる。
このように、愛情を持って使っていたもの。
一度は不要だとされたものが、人の工夫によって命が与えられます。
捨ててしまえばただのゴミです。
そこに「見立ての作業」を加え、心と手の使い方で、物は何度でも人の愛情と命を得ることができます。
その精神は、私達自身の心にも新たな喜びや豊かさが生まれます。
物を捨てる傾向の時代と言われているものの、まだ「モノを捨てるなんて罰当たり」という声が多いのも確かです。
「罰当たり」と言う背景には、物がない時代では、それはすごい重罪にあたったのでしょう。
高度成長期、物を買い求めて、物が溢れている現代になりました。
捨てるという意識ではなく、「物に愛情を注ぐことができない状態から、別の人のもとで過ごさせ蘇らせる。そして、自分の心を整える。」と考えてはどうでしょう。
新しいものを購入するときは、その物に対して、目的を果たしてあげさせられるか?
命を与えられるか?
愛情を持って大切に使ってあげられるか?
…そのように考えて、片付ける禅(ZEN)の心得を取り入れてみましょう。
「捨てる基準」をつくり迷わず作業をする
自分の心と体を整える、自分の空間。
部屋の片付けをしたものの、なかなか作業が進まないことはありませんか?
だいだいが、モノが溢れた状態で、モノを処分するか残すのか悩み、収納をどうするか考えていて、手が止まっています。
モノのひとつひとつに処分か?残すのか?…と、座り込んで考えていたら、いくら時間があっても足りません。
結局全部しまい込んで元の状態よりも、きれいに並べたり収納ができたという範囲で終わってしまいます。
そして、またモノが溢れている状態のままです。
着るか着ないかわからないけれどバーゲンで購入したや、ブランドの衣類。
テーブルに並ぶイメージをもたないでかわいいから購入した食器や、いただきものの食器。
このようにモノは年月とともに増えていきます。
では、そのモノの仕分け作業をして、「捨てる基準」を設けてみましょう。
これはブランドだからもったいない…という、不要なのに所持している「執着の基準」から、「自分の感性にあった基準」に変えていくと、何が大切で何が処分対象なのかが見えてきます。
自分で考えて出した結論が、実行し継続できるものです。
私の3つの基準を紹介しますが、自分の感覚に合うオリジナルの基準を作ることをおすすめします。
2年間使用しなかった物を処分
高価なものでも2年間使っていなかったら、それは流行遅れ・思ったより不便など、自分にとってデメリットもあって、自然に縁が遠くなっています。
その「物」は、あなたのもとでは生かしてあげることができません。
その物に、愛情がなく命を与えてあげることができていないのです。
自分は命を与えてあげられなかったけれど、他の人だったら大切にしてくれるのかもしれません。
古物品を扱うリサイクルショップなどで、買い取っていただくか、救済目的の団体に寄付をすることを考えましょう。
思い出があって記念物になっている
使用する予定はこれからもないけれど、大切な人の形見やプレゼントは、あなたの思いの「命」がそこにはあります。
処分することで、張り裂けるような心の痛みがあるかもしれません。
そのようなものは、箱1個分と決めて、専用箱を作って収納します。
大きくかさばる物だったら、スーツのエンブレムだけを収納したり、使用できるようにクッションカバーやバックなどにリメイクしてみる…
そのように、命や気持ちを大切にするために、無理に処分する必要はありません。
使用しているけど壊れたモノは修復させる
洋服のほつれやシミ・食器の割れなどの、汚れや割れがあるようでしたら、修復を検討します。
命あるものだったので、丁寧に扱いたいですね。
カレンダーの4と9が付く日は「四九日」と言います。
禅では「修復」の日になります。
洋服などの布製は、掃除用品などに目的を変えて、生まれ変わらせてあげることができるかもしれません。
焼き物が貴重なモノだった時代から、割れた花瓶や食器などは、修復して生まれ変わらせていました。
「金継ぎ」と日本の伝統技法です。
アート界では注目の修復方法で、日本の「もったいない」という気持ちを美しく表現されていると、海外でも「KNTSUGI」と、日本名や英語になってヒットしています。
上記写真の金の柄になっている部分が割れたのですが、漆で接着して金などの金属粉で装飾して仕上げる修復技法です。
素敵に修復されて、命が吹き込まれ、違う顔になっています。
捨てる前に心を整え、洗ったり・紡いだり・金継ぎしたりと、モノを大切にする心が大切です。
物に命を与え愛情を注いで使用し、見立てをして再び命を与えていくと、部屋が片付くだけではなく、自然に物を大切にする心が生まれ、新しいものを購入する時もよく考えられるようになります。
<健康を意識した目的別レシピ>
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