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片付ける禅(ZEN)の心得「捨てる基準」モノに命を与えているか?

 

なぜ日本の家では玄関で靴を脱ぐのでしょう。

もちろん外の泥や砂・ほこり・菌などの汚れのもとになるものを、家の中に持ち込まないためですが、日本の玄関で靴を脱ぐ習慣には、深い意味があります。

長年の習慣に倣えば、なぜ部屋の片づけをしなければならないのか…

「空の空間」が良いのかが理解できます。

※「空の空間」についてはコチラのページを参考にしてください。

なかなか片付けができない方…

片付けを始めたけれど、途中で挫折した方…

「禅(ZEN)の心得」から、自分の心を整えて「片付け」をする意味について考えてみましょう。

禅(ZEN)の片付けの心得

靴を表す感じに「沓-くつ」という字が当てられていて、その意味は「けがれ」と言います。

そのことから、日本では家の入り口である玄関で靴(沓)を脱ぐのは、外でついてきた「けがれ」をそこで食い止め、自分の安らぐ家の中には入れないという意味があるのです。

家の一歩外に出れば、不特定多数の人と接し、不愉快な思いをしたり怒りの気持ちさえ持つことがあります。

家の外では「臨戦態勢」とまで言わないとしても、少なからず「よそゆき」の顔をしているものです。

家では外での鎧を脱ぎ捨て、心の拠り所を求めているプライベートな自分に戻れる空間にしたいと願います。

心を整え安らぐ家は、神仏にふさわしい空間と同じように、空気を清めるためにも片付けを含む掃除が必要です。

大切な自分・家族が暮らす「家」は常に清らかにしておかなければ、心が休まりません。

学生の時、試験に追われているのに何故か掃除がしたくなる…という気持ちになったことはありませんか?

その心理も、心のどこかで心を整えなければ気持ちが不安定になり、効率的な勉強ができないことを感じているからです。

しかし、毎日大掃除のような片付けは、忙しい日々の中なかなかできることではありません。

モノが溢れていれば、作業も多くなります。

心地よく生きていくために、自分の空間は清めておく…。

それが、禅(ZEN)の片付けの心得なのです。

 

モノに命を与え愛情を注いでいるか?見立ての作業

 

すでに捨てるものとして検討しているものもあれば、捨てるのは心淋しいと感じる物もあると思います。

まず、物を捨てる前に、別の役目を与えてあげることができないか?…という、「見立ての作業」をします。

捨てる物に対して、再び「命を与えてあげる」ことができるかどうかを考えます。

捨てる前に何か「利用できないか」と考え、いろいろと工夫を加えて見立てます。

竹を例にした禅の見立て

  1. 竹でデザインされていた庭の竹が茂ってしまい、一部伐採。
  2. 伐採された竹は、器にデザインされる。
  3. 器をして使用済み竹は、「竹炭」になり空気を浄化させ、消臭剤にもなる。

このように、愛情を持って使っていたもの。

一度は不要だとされたものが、人の工夫によって命が与えられます。

捨ててしまえばただのゴミです。

そこに「見立ての作業」を加え、心と手の使い方で、物は何度でも人の愛情と命を得ることができます。

その精神は、私達自身の心にも新たな喜びや豊かさが生まれます。

物を捨てる傾向の時代と言われているものの、まだ「モノを捨てるなんて罰当たり」という声が多いのも確かです。

「罰当たり」と言う背景には、物がない時代では、それはすごい重罪にあたったのでしょう。

高度成長期、物を買い求めて、物が溢れている現代になりました。

捨てるという意識ではなく、「物に愛情を注ぐことができない状態から、別の人のもとで過ごさせ蘇らせる。そして、自分の心を整える。」と考えてはどうでしょう。

 

新しいものを購入するときは、その物に対して、目的を果たしてあげさせられるか?

命を与えられるか?

愛情を持って大切に使ってあげられるか?

…そのように考えて、片付ける禅(ZEN)の心得を取り入れてみましょう。

 

「捨てる基準」をつくり迷わず作業をする

 

自分の心と体を整える、自分の空間。

部屋の片付けをしたものの、なかなか作業が進まないことはありませんか?

だいだいが、モノが溢れた状態で、モノを処分するか残すのか悩み、収納をどうするか考えていて、手が止まっています。

モノのひとつひとつに処分か?残すのか?…と、座り込んで考えていたら、いくら時間があっても足りません。

結局全部しまい込んで元の状態よりも、きれいに並べたり収納ができたという範囲で終わってしまいます。

そして、またモノが溢れている状態のままです。

着るか着ないかわからないけれどバーゲンで購入したや、ブランドの衣類。

テーブルに並ぶイメージをもたないでかわいいから購入した食器や、いただきものの食器。

このようにモノは年月とともに増えていきます。

では、そのモノの仕分け作業をして、「捨てる基準」を設けてみましょう。

これはブランドだからもったいない…という、不要なのに所持している「執着の基準」から、「自分の感性にあった基準」に変えていくと、何が大切で何が処分対象なのかが見えてきます。

自分で考えて出した結論が、実行し継続できるものです。

私の3つの基準を紹介しますが、自分の感覚に合うオリジナルの基準を作ることをおすすめします。

 

2年間使用しなかった物を処分

高価なものでも2年間使っていなかったら、それは流行遅れ・思ったより不便など、自分にとってデメリットもあって、自然に縁が遠くなっています。

その「物」は、あなたのもとでは生かしてあげることができません。

その物に、愛情がなく命を与えてあげることができていないのです。

自分は命を与えてあげられなかったけれど、他の人だったら大切にしてくれるのかもしれません。

古物品を扱うリサイクルショップなどで、買い取っていただくか、救済目的の団体に寄付をすることを考えましょう。

 

思い出があって記念物になっている

使用する予定はこれからもないけれど、大切な人の形見やプレゼントは、あなたの思いの「命」がそこにはあります。

処分することで、張り裂けるような心の痛みがあるかもしれません。

そのようなものは、箱1個分と決めて、専用箱を作って収納します。

大きくかさばる物だったら、スーツのエンブレムだけを収納したり、使用できるようにクッションカバーやバックなどにリメイクしてみる…

そのように、命や気持ちを大切にするために、無理に処分する必要はありません。

 

使用しているけど壊れたモノは修復させる

洋服のほつれやシミ・食器の割れなどの、汚れや割れがあるようでしたら、修復を検討します。

命あるものだったので、丁寧に扱いたいですね。

 

カレンダーの4と9が付く日は「四九日しくにち」と言います。

禅では「修復」の日になります。

洋服などの布製は、掃除用品などに目的を変えて、生まれ変わらせてあげることができるかもしれません。

焼き物が貴重なモノだった時代から、割れた花瓶や食器などは、修復して生まれ変わらせていました。

「金継ぎ」と日本の伝統技法です。

アート界では注目の修復方法で、日本の「もったいない」という気持ちを美しく表現されていると、海外でも「KNTSUGI」と、日本名や英語になってヒットしています。

上記写真の金の柄になっている部分が割れたのですが、漆で接着して金などの金属粉で装飾して仕上げる修復技法です。

素敵に修復されて、命が吹き込まれ、違う顔になっています。

捨てる前に心を整え、洗ったり・紡いだり・金継ぎしたりと、モノを大切にする心が大切です。

 

物に命を与え愛情を注いで使用し、見立てをして再び命を与えていくと、部屋が片付くだけではなく、自然に物を大切にする心が生まれ、新しいものを購入する時もよく考えられるようになります。


片付ける禅(ZEN)の心得-捨てるのは最後!本当の「もったいない」とは

 
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