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晴れ「ハレの日」と褻「ケの日」と歳時記を生活軸に丁寧な暮らし

花1

歳時記を生活軸に丁寧な暮らしで生活を彩る

二十四節気歳時記(さいじき)は、「歳事記」とも書き、 1年の折々の自然・人事などを記した書物で、四季の事物や年中行事などをまとめたものです。

江戸時代以降の日本では主として俳句の季語を集めて分類して、季語ごとに解説と例句を加えた書物のことを指しています。

その歳時記の中には、先人たちの自然に対する考え方や知恵がたくさんあります。

新しい情報が溢れる中、インプットすることが多い情報化社会ですが、先人が歩んできた「生きていく知恵」の情報は生活の基本だと私は思っています。

歳時記に綴られている様々な情報は、自然の恵みを感じ、人が人を想う大切な気持ちが埋め込まれていて、ただ単なる「休日」ではなく四季の折り目の健康で幸せになるための「想い」を運んでくれ、ケジメの日を定めているものです。

晴れ「ハレの日」と褻「ケの日」とメリハリがある生活

「ハレ」と「ケ」とは、日本人の伝統的な時間論で、世界観のひとつです。

  • ハレ(晴れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」のこと。
  • ケ(褻)は普段の生活である「日常」のこと。

「ハレとケ」の日の違いを、衣装や料理などで表現し、衣装では「晴れ着」といい、お祝いの料理のことを「ハレ膳」と言っています。

「晴れの舞台」という言葉もあり、言葉でおめでたい場面では「晴れ-ハレ」を使いますね。

日常生活を営むための「ケ」のエネルギーが枯渇するのが「ケガレ(褻・枯れ)」なのです。【エシカル的思考】私のロハスな生活は35年前から始まっていた

近代化・現代化・効率化へと進むにつれて、晴れ「ハレの日」と褻「ケの日」という境界線が曖昧になってしまい、生活軸でこのことを意識している日本人が減ってきてしまっているような気がします。

「ハレとケ」という考え方は、豪華な宴会や式を行うような単に装うとか、しつらうということではなく、「心構え」「感謝」を持つことで、自然や自分を取り囲むすべての人にご挨拶やお祝いの気持ちがうまれることが、生活と人間関係を円滑にすることができると思うのです。

儀礼や儀式に通ずる考え方こそ、ほかの国にはない日本人のたしなみで、この心こそが大切に守り伝えていきたい日本の文化。

節目節目で「ハレの日」の行事があることでインプットされたものが、日々の生活である「ケの日」によってアウトプットされる…。

疲れた…そんな「ケの日」が続き、「ハレの日」にまた新たな気持になる感謝のインプットを、歳時記は教えてくれています。

一年の生活の中でけじめをつけるというのは、生活にリズムをつけるということで、農作の自然によるスケジュールと密接な関係があって、晴れ「ハレの日」と褻「ケの日」という「ケジメ」をつけることで、先人たちはそれぞれの季節を大切に生きてきました。

晴れ「ハレの日」と褻「ケの日」何を食べるのか?

日本の民俗学の中では日本の食事は「ハレ」と「ケ」の食事に区別されています。

  • 「ハレ」の食事
    季節や仕事の節目などを祝う時の特別な食事で、豪華な食事と主に酒が出されました。
    普段口にしない、酒・魚・肉・餅・赤飯・寿司などが用意
  • 「ケ」の食事
    日常の食事で身近で取れる旬の穀物、野菜、魚介類が中心です。
    ごはん(玄米や雑穀)と味噌汁と漬物程度

現代の私達は「ケ」ばかりの生活だと心が“枯れて”しまうので、“ケガレ”という言葉になったのではと考えられています。

江戸時代後半くらいから、現代の私達の生活のように「ハレの食事」が日常化して、着るものも普段から派手な「ハレ着」になり、時代の流れでその概念が形骸化していき、病気や環境の問題などが増えていったとされています。

これが人間の快楽欲求と、それが生む様々な歪みという矛盾になってきているのです。

しかし、「ハレ」の生活を日常化してしまった私達に、今更「ケ」の生活をしよう!と言われても、心が侘びしくなり、それこそ枯れてしまうのかもしれません。

お酒を日常で頂いている方に「ハレの日」だけ!…と決めてしまったら、明日の仕事が頑張れないかもしれません。

毎日ごはんを作っている方が「外食」禁止!…なんて、共稼ぎ夫婦には酷な話かもしれません。

ただ、ひとつ…先人が大切にしてきた、晴れ「ハレの日」と褻「ケの日」を生活軸にしてきた丁寧な暮らしの心構えは、大切に残して生活をしていきたいと思うのです。


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