TOMOIKU*ブログ
4.92019
精進料理を作る「3つの心得」喜心・老心・大心で考えさせられた食禅
精進料理を作る「3つの心得」
禅寺で修行僧たちのために食事を作る役割の人を「典座てんぞ」と言います。
その「典座」はどのような心構えで仕事につくのか…ということが書かれているのが「典座教訓」です。
そこには、食事を作るとき、持ち続けていなければならない3つの心「三心」について書かれていて、料理を作ったりするとき、この三心が身についていれば、食べる人が喜んでくれるとしています。
料理を作る人にとって大切なのは、小手先の料理法や味付けではなく、この三心が修行であることがわかります。
現代では、効率を重んじることが優先されていて、おもてなし…料理をお出しする“心”が失われつつあります。
忙しい時や非常時では仕方がないことかもしれませんが、日常で惣菜や出前、使い捨ての食器や道具と、“食”を粗末に扱うなど、食べることに人間のすべてが表れるという考えから、この三心の教えには「人としての生き方」そのものが含まれているとされています。
「3つの心得」である喜心・老心・大心を心がけて食事作りを考えてきます。
精進料理をつくる心得1-喜心とは
「喜心」とは、文字通り、喜びの心のことです。
この世に生まれたことの因縁・縁起を含め、生きていくための食事を作らせていただけることに感謝し喜ぶとされています。
それまでの人生経験で得たものや学んだこと、自分の中に蓄積された様々なことを、自分が作った料理で発揮できるようにできる。
食事作りは、面倒くさいとか思いがちですが、自分自身、そして家族…子供の人生を支えることができる修行なのです。
自分の料理が、子どもや孫たちの未来や幸福を生み出す糧になることを、「喜び」としています。
精進料理をつくる心得2-老心とは
「老心」とは、父母の心なり…としています。
どんな人でも、一途に子供を愛し育て、その志がどんなものか…。
私利私欲など一切ない、見返りを期待しない、親心のような「親切心」のことです。
どんな人に対しても、親心のような「無私無欲」でなす様々なことです。
料理を作るときに「親切心」がなければ、食材の持ち味を生かすことができないということなのです。
食べていただく相手を慈しむように、老心をもって台所に行き、道具や食器を丁寧に扱い、食材と真摯に向き合い、心をこめて料理を作る。
それが「老心」を持って、料理をするということです。
精進料理をつくる心得3-大心とは
「大心」とは、大地・山・海という、差別のない“心”のことです。
大きな山は、様々な植物や動物や鉱物などから成り立っています。
大きな海も、澄んだ水も濁った水も混ざり合ってひとつの海になっています。
人も同様、分け隔てがない、驕りも差別もない心…それを「大心」としています。
普通の食材も、高価な食材もその価値は変わらず、美味しく感謝していただく。
食の「大心」を語るのであれば、すべての食材を同じ価値を持つものとして丁寧に扱って、心を込めて料理をするということなのです。
精進料理を手掛ける心の姿勢
「3つの心得」は、どの方も頭ではわかっていることだと思います。
しかし、その心得を体にしみ込ませて料理ができるほど、心が整っていないような気がするのです。
生活を雑にしている…どこか、毎日料理をすることに疲れてしまう。
そんな風に感じる時、ありませんか?
この3つの心得で大切なことは、喜心・老心・大心を、ひとつの事として心を整えることが、とても大切なことです。
料理は、未来や幸福を生み出す糧であることを喜び、食材に対して老心を持つことで、大心にあふれたものができあがり、相手にも喜んでいただける。
その心の姿勢を保っていかれるよう、毎日精進することが大切なのだと、精進料理の料理の基本として学びました。
私は料理方法や栄養を伝える立場で仕事をしていますが、まだまだ勉強不足と感じるのが、台所に立つ心の姿勢でした。
上等な食材が手に入ったから、料理が楽しいとか、質素な食材だから手抜きをするとか、そういう気持ちが心のどこかにあります。
素材の良し悪しによって、心がまえを変えてはいけないのですよね…。
どうしたらそれを生かせるか…と、命の恵みを最大限活用して、感謝して作らせていただくと心して、台所に立つように心がけていこうと思います。
<健康を意識した目的別レシピ>
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