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戦国時代の三英傑:織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の病気を診る!



<戦国武将の病気「関ヶ原の戦い」徳川家康vs石田三成の病は?>

戦国時代から安土桃山時代にかけ、長く戦乱が続いて若死にする人が多く、武将は戦死若しくは切腹・刑罰などで命が絶たれるイメージがありますが、飢饉や伝染病の流行もある上、梅毒などの感染者も多かったようです。

漢方薬という薬草でしかない時代、病気を隠して戦っていたのだ…と今回調べたことを綴っていきます。

参考にした書籍は「戦国武将の診る-早川 智 著」「戦国診察室-馬渕まり 著」ですが、他にも様々な書籍があり、図書館で調べてみたところ、病名については同じ資料から導かれているので、ほとんど同じ方向で考えられていました。

歴史的背景や個々の活躍はそれぞれの解釈の違いもあり、歴史通の方の知識には到底追いつくこともできないため、大変申し訳ないのですが、今回は「武将の病気」に焦点をあてていきたいと思います。

※出典:三英傑-織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の画像はウィキペディアから

戦国時代の三英傑さんえいけつについて

三英傑とは天下統一に導いた中心的な三名の戦国武将、戦国大名の呼称のことで、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の事を指しています。

私は愛知県に嫁いできたので、成人してから地元のお祭りなどで、三英傑に触れることが多く、お城めぐりなどで新たに知る情報が多いと感じました。

当たり前と言えば、当たり前なのですが、教科書で知る範囲とは歴史の流れの一点でしかないのだなぁ…とつくづく感じます。

まずは、戦国時代の三英傑、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康について、ちょっと触れていきます。

 

織田信長おだのぶなが-生没:1534年~1582年

出身:尾張国(現在の愛知県西部)
日本の戦国時代・安土桃山時代の武将、大名です。
「うつけ」などの渾名でも知られる尾張国出身の大名。

「鳴かぬなら 殺してしまえ 時鳥ほととぎす
恐ろしい性格のイメージが強いのですが、この句の解釈では、単に信長が気にくわないから殺すという訳ではなく、「鳴けずに生かされていることを屈辱的と感じるがゆえに」という、武将ならではの捉え方もできると言われるようになりました。
新しい物事が好きというように、新しい時代を切り開こうと、ゼロからはじめる開拓者でもあります。
古来の価値観に縛られ過ぎないということから、広い視野を持っていて先見性があり、合理主義・決断力がある人物です。
しかし、戦うこと以外での信長の顔は、秀吉の浮気に悩んでいるねねに気を遣う手紙を出してあげていたり、反抗した武将(柴田勝家や林秀貞)を咎めることなく許し、更に起用してあげています。
障害を持った農民が住んでいる農村へ赴いて、小屋をつくったりごはんを用意したりと、福祉活動などもしていました。
このように信長には、慈悲深い一面を表すエピソードが、戦国時代から安土桃山時代にかけての史料「信長公記しんちょうこうき」に多く綴られていました。
しかし、決戦に向けて敵対者に対しては容赦ない所業が多いことから、冷静沈着とされているその鮮烈な生き様とカリスマ性は今でも多くの人々を魅了しています。

 

豊臣秀吉とよとみひでよし-生没:1536年~1598年

出身:尾張国愛知郡中村郷中中村(現・名古屋市中村区)
室町時代末から安土桃山時代にかけて戦国大名。
「サル」の渾名で知られる

父・木下弥右衛門は足軽または農民、もしくはその下の階層とも言われていて、下層階級の出身でした。
父の死後、母は竹阿弥と再婚しのですが、秀吉は竹阿弥と折り合い悪く虐待され、1550年に家を出て、侍になるために遠江国に行ったとされるが、いろいろな説が出るほど、明確な資料はないようです。
ざっくりとした流れは、本能寺の変にて主君・織田信長が横死した後に政権を奪取して日本を統一したということになります。
出自定かならぬ身分であっても、自力で事実上の日本のトップにまでなった人物です。

「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう 時鳥ほととぎす
自信家で「人誑しひとたらし」と言われたほど、周囲の人々を惹きつけ、不思議な魅力を持った人気者とされています。
しかし、天下統一後からなかなか自分の子どもができなかった苦悩など、やっとできた息子を守り世継ぎにするために、非情なほどの人格が表にではじめ、気にくわない奴を次々に殺していくという残虐な部分をもつ武将でした。

 

徳川家康とくがわいえやす-生没:1543年~1616年

出身:三河国(現在の愛知県東部の岡崎市)
戦国時代から江戸時代における武将。江戸幕府の初代征夷大将軍。
徳川家康が創始した将軍家とその一族を徳川家と呼ぶ。

1543年、三河国の松平氏の一族・安祥松平家の第6代当主・松平広忠の嫡男として岡崎城で生まれる。
幼名は竹千代といい、幼少期を織田氏ついで今川氏の下で人質として過ごしています。
秀吉没後、1600年関ヶ原の戦いで勝利した後、日本全国を支配する体制を確立しました。
その後、家康がその礎を築き、江戸幕府を中心とする統治体制は、後に幕藩体制と称されて、264年間の長き江戸時代がありました。

「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、時鳥ほととぎす
我慢強い人というイメージが一般的ですが、本来の家康は短気で怒りっぽい性格だと言われています。
若かりし頃はわがままで血気盛んで軽率な面が目立ち、失敗が多かったために、冷静さや忍耐強さを身に着けようと、とても苦労して身に付けていった後天的なものです。
家康が活躍し始めたころには、忍耐強くなっていたので、このような詩がつくられました。

 

三英傑の病気は?信長48歳、秀吉61歳、家康73歳で死す

歴史上の人物の病気を知っていくと、その時の流行した伝染病やお酒やたばこなど、ストレスでやめられない状況、そして戦国武将の意外な持病や死因が見えてきます。

三英傑はこんな病気だったかも?という可能性を紹介します。

 

織田信長48歳没

信長は本能寺の変で自害(自害ではなく逃げた説もあり)していますが、本能寺の変が起きなくても、本態性高血圧だった信長の余命は長くなかったと言われています。

織田信長が本態性高血圧のため怒りっぽいとされていますが、宣教師ルイス・フロイスの話す地球の構造・ヨーロッパの政体などを一瞬で理解できるほどの高い知能を有していていたのですが、「情性欠如型人格障害」で野心的で「攻撃タイプA」の行動パターンがあるようです。

そして、安土城に移ってから手足のしびれや痛みに悩まされて、極端に喉が乾いていたという文献から、「糖尿病神経障害」も考えられています。

酒が飲めなかった信長は甘いものが大好きで、宣教師ルイス・フロイスが献上した「金平糖」が大好きだったようです。

40代であることから高血圧・糖尿病は現代でもあることですね。
現代での仮説「本態性高血圧」「情性欠如型人格障害攻撃タイプA」「糖尿病神経障害」

 

豊臣秀吉61歳没


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豊臣家の勢力が弱体化していく頃、体調を崩して床に伏すことが多くなり、下痢・腹痛・食欲不振・手足の激痛・失禁が続き痩せ衰えていった秀吉。

様々な説が唱えられていて、脳梅毒・大腸癌・痢・尿毒症・毒殺説があります。

天下人秀吉は女好きで多くの側室があってもなかなか世継ぎができないことから、「乏精子症」であっても世継ぎが欲しい気持ちが大きかったとされています。

戦国時代は複数人と関係を持つことがステータスの一種だったので、様々な説がある中で梅毒の特徴である老人のような老いた顔であった症状と状況から「脳梅毒」説が有力なようです。

5人に1人は梅毒などの性病に罹っていた時代でした。

現代での仮説「乏精子症」「尿毒症」「脳梅毒」

 

徳川家康73歳没


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江戸に幕府を開いた徳川家康は長生きしています。

戦国時代にライバルよりも健康で長生きできたのは、日頃から健康に気をつけていていたので、天下取りレースの最終勝者になったと言われています。

ライバルだった武田信玄・上杉謙信は戦場ではとても敵しえなかったが、彼らが病死し、信長が本能寺で倒れ、秀吉が死に、最後のライバル前田利家も病死したことから、家康以外にかなう武将がいませんでした。

家康は健康オタクで、書物や医者などから得た知識が非常に豊富だったため、3歳だった家光が高熱を出した際、医者が匙を投げた病気になったにもかかわらず、家康が処方した薬で治してしまったという話があり、73歳まで生きた家康は医学の知識が医者以上にあったと言われています。

その家康に関しては前ページで綴っています。

そんな健康オタクの家康さんは、正月に京で流行の食べ物である「鯛の天ぷら」を献上され、大喜びで食べたのですが、翌朝未明(食後4時間後)に激しい腹痛を起こし、病状は一進一退を4ヶ月繰り返しながら、駿府城で亡くなっています。
単なる「食べ過ぎ」という馬渕さんの意見と、早川さんの胃や食道に腫瘍があったところに、消化の悪いものがによって、通過障害・腸閉塞をきたしたのではないか…という意見があります。
腹痛後、一進一退を4ヶ月繰り返していることから、「食べ過ぎ」は引き金で、中高年では非常に肥満だったけれど、晩年は食欲不振が進行してげっそりして痩せてしまったことを考えると、悪性腫瘍があったのだろう…と考える説もあります。

<TOMOIKU記事:「戦国武将の病気「関ヶ原の戦い」徳川家康vs石田三成の病は?」

高齢になった家康が、鯛の天ぷらが美味しいから…と、急な過食で死期を早めた可能性があるのだったら残念ですが、年齢相応の病があったのだというのがしっくりします。
そして、食欲不振が進行してげっそりして痩せてしまったことから、悪性腫瘍・胃がんという説が有力です。

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戦国時代という時代背景からの病

馬に乗ることが多いことからイボ痔が致命的なことになったり、世継ぎ問題や女遊びから意外にも「梅毒」で命を失った武将は多くいました。

大酒飲みで、酒の肴は塩!他にも塩分の多い梅干しと味噌と塩だけ…そんな不摂生から若いのに脳出血に倒れた上杉謙信。

追放されたにも関わらず、八丈島でロハスな生活をしていたため、驚くほど長生きした宇喜多秀家。

結局、現代と同じなのかなぁ…と思ってしまいます。

歴史上の出来事は、現代に残っている文献より想像していくしかありませんが、医学史の方々の分析なので、仮説がズバリなのかもしれません。

しかし、現代医学に当てはめてみたら「病気」となるかも?という範囲に留めていただいて、確定されたものではないことをお伝えします。

戦国時代の武将の栄光なる道を、病気によって失ってしまった武将もいれば、健康で勝ち取った武将もいます。

天下の分け目は人生の分け目であり、健康が大きく関わっています。

志半ばで病気によって散ってしまった武将は悔しかったことでしょう!

しかし…それは現代も同じです。

 


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