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チャップリンの映画「独裁者」現代のすべての人に伝えたい!

現代のすべての人に伝えたい…チャップリンの映画「独裁者」より

チャップリンが現代で生きていても、きっと私達に同じことを言うのだろう!

親が子供に虐待!とか…学校が信じられない…とか、世界も緊張状態になっています。

世界の動きも気になるし、日本人が大切にしてきた「礼儀や仁義…」などが置き去りにされていて、「自由」の履き違えをしている事件も多く、自分の立ち位置は安定していても、世の中の動きで心がザワザワします。

未来が見えなくなってしまう人さえもいるのではないでしょうか。

世界で、泣いている子どもたちがいる。

平和と言われている日本でも…数日前のニュース

5歳長男をフライパンやノコギリで… 虐待で両親逮捕

5歳の長男に対し、2週間のけがを負わせた疑いがもたれています。
手口はあまりに卑劣なもので、フライパンなどを使って長男の全身を殴ったり、のこぎりで両ほほを切りつけるなどしていたということです。
そして、事件が発覚したのは近所の人からの「靴だけを履いた子どもが裸で歩いている」という通報でした。」

<出典:毎日新聞>

今も泣いている子供達がいるのでしょう。

ほんとうに…どうなちゃっているのでしょう。

 

チャップリンの未来予想図だったのか?変わらない人間の身勝手さ

チャップリンは言っていました。

「私達がみんなで、小さな礼儀作法に気をつけたなら、人生はもっと暮らしやすくなる」…と。

「人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。」…と。
心の余白は心と身を整える!呼吸法とお片付けが幸運を呼ぶ

劇中でも描かれた、名言の「小さな礼儀作法」って、「思いやり」だと思うのです。

思いやりがないと暴力だけが残り、知識や富よりも悪に屈しない勇気や思いやりこそが必要であると言っているのだと、私は思うのです。

相手あってこその礼儀ですし、相手あってこその思いやりです。

人としての道徳は、どこに行ってしまったのでしょう。

 

チャップリンの映画「独裁者」より

「喜劇王」として世界中の人々に笑いをふりまいたチャップリン。

現代の若者たちはただ単なる「喜劇をしていた人」という知識しかないかもしれません。

極貧生活を送っていたチャップリン少年は、ステージにあがったのは5歳の頃で、悲劇的な生活だったようです。

売れていく人たちを横目に、芸を磨いて、チャップリンとして定着しているチョビ髭でステッキを持ったスタイルは25歳の時で、人気が出てきたのです。

29歳の時、貧しい人の視点に立った、映画「犬の生活」で脚本、監督、主演を務めて、ただ単なる喜劇で終わらない、温かさを感じる涙と笑いの両方をもたらす世界観をつくったがチャップリンです。

その後ヒットを続け苦しい人の代弁者にもなり、51歳になって「独裁者」を制作しています。

「独裁者」の内容は、ヒトラーに似ている床屋が、本人に間違えられてすり替わってしまい、エンディングで独裁者を否定する大演説をするのです。

もしナチスが第二次世界大戦に勝っていたならば、チャップリンは捕われの身になっていただろうと言われています。

チャップリン自身が監督・製作・脚本・主演を務めたヒトラーとナチズムの風刺が主なテーマの映画「独裁者」(1940)でのラストシーンのアレンジです。

現代版にアレンジされていてとてもわかりやすいので、是非一度観てみてください。

スピーチ全文

申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。私には関わりのないことだ。
支配も征服もしたくない。できれることなら皆を助けたい。ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。
私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。
お互いの不幸ではなく幸福と寄り添いたいのだ。憎み合ったり、見下し合ったりしたくないんだ。

世界は全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。 
人生は自由で美しい。

しかし、私たちは生き方を見失ってしまった。欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
私たちはスピードを開発し、自分自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げてしまった。
知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、無情にした。私たちは考え過ぎで、感じなさ過ぎる。
機械よりも、人類愛が必要なのだ。賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。
そういう感性なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。

飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。
今も、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに届いている。
何百万もの絶望した男性達、女性達、小さな子供達、人達を苦しめる組織の犠牲者達、罪のない人達を投獄させる者達・・・

私の声が聞こえている人達に言う、「絶望してはいけない」

私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る貪欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。
憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶えるであろう。
人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。決して人間は永遠に生きないように、自由も滅びることはない。

兵士たちよ。獣たちに身を託してはいけない。
君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図する。
君たちを鍛え、食事を制限する者たちは、君たちを家畜として、ただのコマとして扱うのだ。

身を託してはいけない。そんな自然に反する者たちなどに。
機械人間たち、機械のマインドを持ち、機械の心を持つ者たちなどに。
君たちは機械じゃない。君たちは家畜じゃない。君たちは人間だ。心に人類愛を持った人間だ。
憎んではいけない。愛されない者が憎むのだ。愛されず、自然に反する者だけだ。

兵士よ。奴隷を作るために闘うな。自由のために闘え。
『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」とある。
一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。君たちの中になんだ。
君たち、人々は力を持っているんだ。
機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力を持っているんだ。
君たち、人々が持つ力が、人生を自由に、美しくし、人生を素晴らしい冒険にするのだ。
民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。 
皆でひとつになろう。新しい世界のために闘おう。常識ある世界のために。
皆に雇用の機会を与えてくれ、君たちに未来を与えてくれ、老後に安定を与えてくれる世界のために。

そんな約束をして、獣たちも権力を伸ばしてきた。しかし、彼らは嘘つきだ。約束を果たさない。これからも果たしはしないだろう。
独裁者たちは自分たちを自由にし、人々を奴隷にする。
今こそ、闘おう。約束を実現させるために。闘おう。世界を自由にするために。
国境のバリアを失くすため、欲望を失くし、嫌悪と苦難をなくすために。
理性のある世界のために闘おう。 科学と進歩が全人類の幸福へ導いてくれる世界のために。

兵士たちよ。民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。

時代が時代なので、現代の日本人は「闘う=戦争」ではないと思いますが、自分の心との闘いは永遠なのかもしれません。

今は亡き映画評論家の淀川長治さんがチャップリンの映画についてコメントをしていました。

「いい映画を観ると、知らないうちに姿勢を正してしまうし、他人に対する理解や礼儀が生まれてくる。
人間として最も大切なマナーが自然に身に付くね」

 

結局、チャップリンの名言から70年以上も経っているのに、世の中ってほとんど変わっていない、人って本当に歴史を繰り返すものなのですね。

個人の短期的な思考からうまれた利益追求は、未来の幸福と相反していることに、人は経験から気づいているはずなのに…

<画像:Google検索ページ>


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