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親と子ども・人としての危険認識の欠落が危険や死を招くのでは?

危険認識能力

親と子の悲しいニュースが絶えない

最近とても悲しいニュースを聞き考えていたことなのですが、これは私の個人的な気持ちであり、データーを揃えた上での記事ではありません。

子どもが親の不自由の回避から招く、事故。

警察の事情聴取において、親として何て語っているのかは私はわかりません。
でも、「死ぬとは思わなかった」「故意ではない」と思い、供述しているのではないでしょうか?

まさか、このようなことになるとは思わなかった。…と危険や不道徳を感じることが欠落していると私は思いました。

その危険を感じる知識を得ることがなかった場合、若しくは便利な物に慣れてしまって、事件を起こしてこそいないけれど、子どものケガや死亡事故につながってしまう可能性は多くの人にあるのではないでしょうか。

便利な道具に囲まれて…

例として、自家用自動車の場合、エンジンをかけると自動的にドアロックがかかります。

子どもが走行中にドアを開けることなく安全を確保できますし、親のロックのかけ忘れもないため、今では運転手も走行開始前にロックの安全確認はしてないのではないでしょうか?

ワンボックスカースライドドアは障害物をセンサーが察知した場合、自動的にドアが閉まらないようになっています。

子どもがドアを閉める時に注意することなく、安全の確保ができるのです。

カーナビはとても便利な道具。

昔のように地図を開いて走行距離から時間をはじき出して出先で「あっちでもない、こっちでもない」と迷うことなく、時間の無駄もなく目的地に導いてくれます。

車をバックさせる時も、バックモニターが後方を表示してくれます。

便利で事故も減る。

技術の進歩は私達の生活の安全を考えてくれています。

危険を感じる能力

でも、私達はその「危険」を回避させてくれる道具が当たり前になって、自分でその危険を感じる能力が衰えていくような気がするのです。

「危険認識の衰え」を感じているのは、55歳の私のように不便な時代を知っている年齢で、もっと高齢の方は更に感じることでしょう。

現在子どもの親になられている方達は、すでにとても便利な時代に育っていられる方達です。sei

「衰えを感じる」ではなく「当たり前」なのでしょう。

その「当たり前」と感じられている方達の責任でもなく、技術の進歩は素晴らしいもの…ただ時代の流れです。

しかし、危険であるかもしれないと察知できる能力が育たないことは、とても危険であり死に直結することでもあるのです。
孫の園長先生が「今の子ども達は危ないと感じることなく、高い所から飛び降りたりする」という話をされていました。

余りにも便利な道具に囲まれて育ち、「危ないのかもしれない」という遊びも禁止され、小さなケガさえもしない。

ちょっとした擦り傷で大騒ぎをする親と子が多いと、嘆いていらっしゃいました。

子どもだけではなく社会全体の人たちが、「安全の確保」が当たり前なのでしょう。

ある事件で、子どもを小さな箱に閉じ込めれば、酸素不足になり死亡するかもしれないということが想像できない状態は論外ですが、もしかしたら私達も小さな危険は見逃しているのではないでしょうか。

道具を使うのは私達で、その道具に頼りすぎて「危険意識能力が欠落してしまう」結果の社会になってしまうことは本末転倒だと思うのです。

道具の発展と共に、人間の生きていくための危険認識を感じるための知識を得ていかなければ、悲しいニュースは増えていくばかりなのではないでしょうか。







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